二度のクモ膜下出血から

介護日記

町亜聖さんの壮絶な介護:

今朝は低血圧のせいか、あまり元気なく(ダルそうに)デイサービスに行ったので、ちょっと心配だったのですが、帰りは大丈夫になっていました。

血圧が低いと大事を取って、シャワー浴になったりするのですが、ちゃんと湯船に入れてもらえたそうです。

 

食後、録画しておいたNHKのハートネットTVを妻と見ました。

アナウンサーの町亜聖さんの10年間に及ぶ介護の体験談。

ご覧になった方も多いと思いますが、おかあさんが若くしてクモ膜下出血に倒れてというところに、どうしても自分を重ね合わせてしまい、洗い物もせず最後まで見てしまいました。

一番楽しいはずの青春時代を介護の捧げ、やりきった町さんはすごい。

 

でも見た後、ちょっと辛すぎて消去してしまいました。

今僕は現在進行形、そしてこれからのことを思うと闘う勇気があるのか、ほんとは不安だらけなのです。

 

その決意を試されたようでした。

 

妻のクモ膜下出血:

妻はもっと若く20代半ばの発症でした。

かなり重篤な状況で3カ月経っても私のことを思い出してもらえないほどだったのですが、若さもあってか、麻痺も次第になくなり、数年後には自転車に乗れるまで回復しました。

しかし、安心したのもつかの間、10年ちょっと経ってまた、二度目のクモ膜下出血。

二度の開頭手術に難色を示す医師に無理やり頼み込み手術してもらい、今度はありがたいことに特に後遺症もなく無事退院できました。

と思っていたのもつかの間、退院後少し経ってから、てんかんの発作と、原因不明の感染症による高熱を繰り返すようになってしまいました。

そのたびに救急搬送です。

 

また、脳出血の原因でもあった、遺伝性の腎臓病も悪化し、人工透析を受けることにもなってしまいました。

 

そして要介護4になった:

そうしてまた10数年、だましだまし対処療法で切り抜けてきた身体に、2年前とどめのように大きなてんかん発作が襲うのです。

仕事から帰ってきたらストーブの前で意識を失い痙攣していました。

状況から3,4時間はそのままだったようでした。

そして今度の脳障害と麻痺は戻ることはありませんでした。

最初からですと、26年目。新婚半年で倒れましたから、夫婦の間ずっと病気と闘ってきたことになります。

 

昨年は25周年の銀婚式。

 

車椅子で初めて外食しようとしてみたのですが、寸前でまだ高熱を出し、病室での記念日となってしまいました。

あまり記念日を祝う的なことは苦手で今までほとんどしてこなかったので、いまさら不似合いなことはするな、ということだったのでしょうか?

 

「介護」という意味では、まだ2年。先は長いです。

遠くに住む80過ぎの両親の介護も考えなくてはならない時期にもなっています。

 

誰にもわからない未来を憂いてもしかたないですが、僕もこれからどこまでやっていけるのだろうかと、時折ぼんやり考えてしまいます。

町さんの強さがまぶしく思えました。

 

*今日のごはん:

朝食:ゴボウ肉うどん(みそ仕立て)、キュウリとキャベツの漬物

昼食:キムチ納豆ごはん、キャベツ千切り(妻はデイサービスの昼食)

夕食:手羽元と豆腐と水菜のしょっつる鍋、オクラとイカゲソの和え物、焼きナス

 

安売りで買ってあった水菜を使い切りたくて、朝も夕も水菜です。

少量の出汁目的の豚バラの肉うどんにはささがきごぼうと最後に水菜を入れ、野菜たっぷりの肉うどん(?)となりました。

しょっつる鍋にも出来上がり直前に2株くらいのたくさんの水菜を入れ、余熱で火を通します。

手羽元は軽く塩をしたあと、フライパンで焼き目をつけてから入れるのですが、それでもこってりとした出汁がでてくるので、豆腐と水菜は必需品です。

水分制限の妻は無理ですが、おいしい出汁の出た汁をごはんにかけてお茶漬けっぽく食べるのもとてもおいしい。

 

ごちそうさまでした。

 

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